Société franco-japonaise d’océanographie

La Société Franco-Japonaise d’Océanographieは、本部を195, rue Saint-Jaques Paris (75005)(海洋研究所内)に置き、1984年に非営利団体として発足いたしました。

同団体は1960年に日本で発足した日仏海洋学会の協同学術団体となります。尚日仏海洋学会の本部は、1924年に日仏間の文化交流発展を目的とし、当時の駐日フランス大使ポール・クローデルと渋沢栄一子爵によって設立された日仏会館(〒150-0013東京都渋谷区恵比寿3-9-25)内に置かれています。

La Société Franco-Japonaise d’Océanographieは同団体規約にも記されている通り、「海洋分野における研究・発見・開発を念頭におき日仏間の関係強化に寄与すること、及び仏国において日仏海洋学会との協力促進を実現すること」をその目的としています。また発足以来その目的は変わっていません。

日仏における各団体の主な目的の一つは、シンポジウム開催による、両国間での科学分野内情報の普及としています。直近のシンポジウムは以下のテーマに沿って行われました。

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テーマ:

第13回 2008年「地球規模の変動:海洋環境と人類の関わり」
第14回 2010年「海洋の持続可能な利用と管理に向けて」(神戸にて開催)
第15回 2013年「海洋の生産性、擾乱、社会・生態系の回復能力」(特に東日本大震災による津波被害及び福島の事故後の環境への影響)

尚第16回シンポジウムは、2015年11月に塩釜と東京にて「自然環境や人間活動にさらされる海:地球の未来への海洋学の挑戦」と更に広域なテーマに沿って開催されました。

両団体における機能は研究者間の関係に限ったものではありません。両学術団体は協同することで、日仏国間の相互援助を主導する立場にいます。特にフランスでの牡蠣養殖事業の例がそれを示しています。両国間における援助の歴史は、2015年のシンポジウム後にシュプリンガーに掲載された小池康之氏の論文で、以下のように述べられています。「1960年当時、寄生虫の大量発生により徐々にかつ急激に全ての真牡蠣生産が壊滅状態となり、フランスの牡蠣養殖は極度の混乱に陥りました。その後日本の東北・三陸産牡蠣の稚貝を輸入することで、牡蠣生産は少しずつ元の状態に戻ることが出来たのです。この三陸地方の牡蠣養殖場は、去る2011年3月11日の巨大津波により破壊されました。日仏両国の海洋学会並びに養殖開発協会(ADA: Association pour le Développement de l’Aquaculture)の後援、更にエア・リキード財団とロータリークラブの援助を受け、日仏の牡蠣養殖業者が団結することで、養殖事業に必要な機器が日本へ送られ、日本の養殖業は津波被害から迅速な復興をたどりました。復興以降、同事業に従事する人の優れた能力もあり、津波以前の生産レベルに現在はほぼ戻っています。」